2014年10月26日

時の旅人ポーランド編

今回のポーランド出張では、歴史を巡る
旅をしようと計画をしていました。
無事に資格が取れたので、安心して
旅行記をまとめてみようと思います。

<10世紀〜11世紀:ポーランド王国の勃興>
ポーランド王国は10世紀頃に成立しました。
現在のポーランドとほぼ同じ領土を獲得した
ポーランド王がカトリックに改宗し、
キリスト教世界に強国として認知された結果、
世界史の流れに組み込まれるようになります。
ymgzE.jpg
(↑初代ポーランド王ミェシュコ1世)

<12世紀〜13世紀:諸公の時代>
神聖ローマ帝国の侵攻を防ぎ、中央集権を
強固とした12世紀のポーランド王は、
その4人の王子達に領土を分割相続しました。
その結果、貴族達を巻き込んだ内紛が発生し、
ポーランドは多くの小公国に分裂していきました。
小公国には多くの外国勢力が侵入し、
ユダヤ人やドイツ人の移住も進みました。
Histpln01.JPG Histpln02.JPG
Histpln03.JPG Histpln04.JPG
Histpln05.JPG Histpln06.JPG
Histpln07.JPG Histpln08.JPG
(↑ドイツ騎士団城、自由都市グダンスク)

<14世紀〜16世紀:ポーランド黄金期>
大王と称されたカジミェシュ3世により
ポーランド王国は再統一されました。
また、隣国リトアニアと連合王国が組まれ、
軍事・外交・内政のいずれも安定したため、
文化的にも大きく発展しました。
コペルニクスが地動説を発表したのも
この時期で、欧州一の国家として君臨しました。
Histpln09.JPG Histpln10.JPG
Histpln11.JPG Histpln12.JPG
Histpln13.JPG Histpln14.JPG
Histpln15.JPG Histpln16.JPG
(↑王都クラクフ、ヴィエリチカ塩鉱)

<17世紀〜19世紀:黄金の自由と亡国>
連合王国の王位継承者が途絶えた16世紀末から、
ポーランド王は黄金の自由と呼ばれる
選挙システムで決められるようになりました。
しかし、これにより権力闘争が激化、
さらに他国による選挙介入が常態化し、
ポーランドの領土はロシアとオーストリア、
およびプロイセンに分割されてしまいました。
Histpln17.JPG Histpln18.JPG
Histpln19.JPG Histpln20.JPG
Histpln21.JPG Histpln22.JPG
Histpln23.JPG Histpln24.JPG
(↑ワルシャワ王宮内外)

<20世紀:血と引き換えの独立>
分割の果てに滅亡したポーランド王国は、
第一次世界大戦後の列強の弱体化に乗じて、
共和国として独立を回復しました。
しかし、ドイツとソビエトの間に挟まれていた
ポーランドの国土は、第二次世界大戦で
最も苛烈な戦場の一つとなり、両国の占領が
長く続きました。ソビエト軍の駐留が退き、
真の独立が果たされたのは、25年前のことです。
Histpln25.JPG Histpln26.JPG
Histpln27.JPG Histpln28.JPG
(↑ワレサの造船所、若き日の教皇ヨハネ)

ポーランド1000年の史跡を歩むと、
国体のあるべき姿について自然と考えが及びます。
軍国独裁だった大日本帝国、行き過ぎた
自由主義だったポーランド・リトアニア共和国、
いずれも亡国の憂き目に遭いました。
民族主義やイデオロギーの高まりによる
国家の分裂と混乱が散見される現代、
国家に何をどこまで担わせるのか、
そして個人は何を担うべきなのか、
きちんと整理するべきなのかもしれませんね。
posted by ビズアイユ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記@放浪

2014年10月19日

英語の仕事を乗り切る

いや、まだ全部の工程が終わったわけでは
無いのですが、おそらく大丈夫でしょう。
三つの学科試験はストレートで合格。
残りの実技試験はマニュアルやWebを
参照しながらなので容易と思われる。
現地会社の担当者ともキチンとした
コミュニケーションが取れている。
もちろん油断はダメですが、
最後まで順調に事を運べる自信はあります。

であるならば、これで僕が最低限の
ビジネスレベルの英語力は備えている
ということも証明できそうです。
英語には苦手意識があったので嬉しいです。

実際、MBAの講義(英語)で発表をするのは
未だに苦手ですが、三年半の学生生活で
それなりに鍛えられてはいたのでしょうね。
投資の額からすると慎ましいリターンですが(汗

ただ、やっぱり流暢というには程遠く、
相手が聞く姿勢を持ってくれているから
通じるという面があるのは否定できません。
逆に、自分の発する言葉で相手を引き込める
というところまで進めないと、
グローバルで「戦う」には足りないでしょう。

そこまで行くには、今後どうしたら良いのか?
ゲストからホストへの質的転換が必要という
気がしてきました。MBAの生徒であるとか、
今回のような交渉が必要ないという状況では、
自分の有利なタイミングだけを見計らって
発言をすることも可能なのですよ。
しかし、これが講師になるとかガチの交渉に
勝たないといけないとなると、話が違う。
リアルタイムに適切かつスマートな言葉を
アウトプットしなくてはならなくなる。
今後は、意識的にそういう場面で自分を
鍛えることも考えないといけないですね。
posted by ビズアイユ at 00:00 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記@放浪

2014年10月12日

ポーランド料理の所感

ご存知の通り、僕は食べ歩きが好きなので、
ミシュランやトリップアドバイザーを参考に
ワルシャワの色々なお店を回ってみたのですが、
全体的には日本の外食の方が上と感じました。
ミシュランの予算の都合もあるのでしょうが、
ポーランド全体でも一つ星のレストランが
一箇所あるだけという状況のようです。

そもそも、ワルシャワや観光地は別ですが、
街に料理屋をあまり見かけませんでした。
食事といえば母親が作るもので、
外食という文化が根付き始めたのは
民主化後の25年間ですから、当然ですね。

そんな中、僕が美味しいと思ったのは、
家庭料理であるスープと、イタリアンです。
最近は一日三回になったものの、
ポーランドの昔の食事回数は一日四回
だったそうで、日持ちして暖めるだけで
上等な一皿となるスープは、お母さんの
味方であったと想像に難くありません。
バリエーションも豊富なのが嬉しいです。
pol_soup1.JPG pol_soup2.JPG
pol_soup3.JPG pol_soup1.JPG

イタリアンが美味しい理由は、チーズです。
これは僕の持論ですが、料理の風味の
大部分を決めるのは発酵系の調味料なんですよ。
醤油や味醂を使えば和風になるし、
ナンプラーを使えば東南アジア風になるし、
乾貨を使えば高級中華っぽくなるわけです。
で、イタリアンの場合はチーズなんですが、
ポーランドのチーズは安くて美味しく、
それをキチンと料理のベースに据えてるから、
本格的なイタリアンの味が出てるわけですね。
(逆に言うと、日本のイタリアンはチーズを
ケチってるから物足りないことが多い。)

ということで、最近はホテルの近くにある
San Lorenzoというイタリアンレストランに
毎日のように通っています。ここは基本に忠実で
美味しいイタリアンを出してくれるお店で、
星付きではないですがミシュランのお墨付きです。
おそらく、料理がオーソドックス過ぎて
星を貰えないのでしょうが、味は一つ星級です。
SanLorenzo01.JPG SanLorenzo02.JPG
SanLorenzo03.JPG SanLorenzo04.JPG
SanLorenzo05.JPG SanLorenzo06.JPG
SanLorenzo07.JPG SanLorenzo08.JPG
SanLorenzo09.JPG SanLorenzo10.JPG
posted by ビズアイユ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記@放浪

2014年10月05日

悲哀の歴史を纏った森

今週末は自転車を一日レンタル(2000円弱)し、
ワルシャワの北西に広がるカンピノスの森という
国立公園を訪れました。ヨーロッパの平地森を
一度は訪れたかったのです。元農学部生ですから。

カンピノスの森林地帯は、ワルシャワの中心部から
約15kmほど離れたあたりから広がっており、
自然を楽しむ家族連れやマウンテンバイクの
愛好家にとって絶好の場所となっていました。
Kampinos01.JPG Kampinos02.JPG
Kampinos03.JPG Kampinos04.JPG
Kampinos05.JPG Kampinos06.JPG

しかし、この森には非常に重い歴史がありました。
列強のポーランド分割に抵抗する人々の
蜂起の舞台となり、鎮圧され、処刑が行われる。
ナチスドイツの支配に抵抗する人々の
蜂起の舞台となり、鎮圧され、処刑が行われる。
ユダヤ人ゲットーから連れ出された
人々の処刑がナチスドイツにより行われる…。
第一次世界大戦前から第二次世界大戦にかけて、
この森では10000人を超える人々が殺されました。

下の地図は今回の僕の走行ルートですが、
地図内の青い場所にワルシャワ歴史博物館の
分館がひっそりと建っていました。
その建物に隣接した場所には不自然に拓けた
空間が広がり、そこには簡素な墓が整然と、
かつ夥しい数で存在していました。
Kampinos07.png Kampinos08.JPG

おそらく日本で発行されている旅行ガイドに、
この分館と墓のことが掲載されているものは
無いでしょう。ですが、ポーランドの近代史に
少しでも興味があるなら、是非とも足を
運ぶべき場所だと強く思いました。
posted by ビズアイユ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記@放浪

Puppiest.png