2014年02月23日

テーブル上で世界一周

今日は大学院のレポートを頑張る日だ!
と思っていたら、何故か夜食が豪勢に。
本格的に多国籍なメニューを作っちゃいました。
cooking01.jpg

左から、中東料理のフムス、チーズ入りのパン、
カレー風味のチキンソテー、トムヤムクン、
アンチョビを利かせたサルサのサラダ…。
家から一歩も出てないのに世界一周です。

いやあ、この時代に生きている幸運を
ひしひしと感じられますね。中世の王様より、
遥かに豊かな食生活を、我々はしてますよ。

さて、お腹もいっぱいになったし、
紅茶でも飲んでマッタリしましょうか。
何か忘れている気がするけど、気にしない☆
posted by ビズアイユ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 趣味@グルメ

2014年02月22日

セータースタイル万歳

シャツ、スーツ、ネクタイと揃えてきて、
次に揃えることになったのはVネックの
セーターとなりました。こんな感じ。
v_sweater.jpg

寒い時期はスリーピースのスーツだろ!と
英国式に憧れを持っていた時期もあるものの、
実際に羽織ってみると僕には似合わない(泣

僕の場合、服のコントラストが低くなると
モッサリ感が出てしまうようなため、
スーツと共地のベストは不向きみたいです。
で、代わりに発色の良いVネックのセーターを
揃えてみたところ、しっくり来ました。

共地のベストと違って着回し易いし、
ベストを省けるとスーツの値段も安くなるし、
カジュアルスタイルでも重宝するので、
このアイテムを開拓できて良かったです。
posted by ビズアイユ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 趣味@お洋服

2014年02月16日

不運なるは幸いである

占いをやっていると、
運の良い時期にいる人だけでなく、
運の悪い時期にいる人を看ることも多い。
しかし、本当は良いも悪いも無いのかなと、
幸福という言葉の解釈から慮ることができる。

幸福という言葉は幸と福という漢字から
作られた熟語だが、幸と福が持つ意味は、
実はかなり違う。幸は手枷をはめられた人の
象形文字であり、手枷だけの刑罰で済み、
悪いことが大きくならずに良かったというのが
本来的な意味となる。福は神様へ供えられた
酒樽の象形文字であり、神様からの恵みが
与えられるというのが本来的な意味となる。

そして、幸福という言葉は、
幸が先で福が後となっている。
先に幸があってこそ福を受けられるのだ。
どういうことか。例えば宝くじに当たって
良い車を買った、美味しい食事をした。
そのときは喜びがあるだろうが、
この気持ちは果たして長続きするだろうか。
賞金が少なくなるにつれて不安は増すはずだ。

逆に、いま自分が抱えている問題が
一つずつ消えていく想像をしてみよう。
健康、仕事、人間関係、衣食住などなど。
そうすると、気持ちが楽になっていくと思う。
この状態で宝くじに当たったなら、
賞金を使い切ったとしても、
おそらく特段の不安は感じないだろう。

簡単にまとめよう。幸とは不安の無いことで、
福とは恵みを授かることである。
かつ、幸であってこそ福を享受できる。

さて、ここまで来て、
やっと運の良い悪いの話に戻れる。
実は、運の良い時期は福を得るのに向くが、
運の悪い時期は幸を得るのに向くのである。
何故なら、運の悪い時期は自分の抱えている
問題が顕在化し易い時期であり、同時に
その対策をきちんと打つことが可能になる
時期でもあるからである。

季節の巡りに意味があるように、
運勢の巡りにも意味がある。
運の悪い時期には運の悪い時期に向いた
行動を意識すれば、運の良い時期とは
異なった実りを手に入れることができる。
それは、運の良い時期に手に入れられる
実りよりも優先度が高かったりもする。
そう、不運なるは即ち幸いと言えるのだ。
タグ:
posted by ビズアイユ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 思索@内面

2014年02月09日

雪と実りと占いと…月

久々に大雪でした。大学で鳥取にいたときと
同じような質の雪が東京でも降るんですね。
ちょっとテンションが上がったので、
雪の小網神社の写真を撮ってみました。
koami01.jpg

神職の奥様が雪かきをしておられたので
あんまり積もってないように見えますが、
僕が住んでるマンションの前では
足が埋まっちゃうほどだったんですよ!

ところで最近、小網神社の御祭神である
ウカノミタマさまが三貴神の一柱である
ツクヨミさまと近しい存在であるという説を
知りました。ここらへんを整理してる情報を
お知りの方はシェアいただけると幸いです。

(参考)
小網神社ご由緒
神社人 - 稲荷神社
ツクヨミノカミ
月読考察
posted by ビズアイユ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 趣味@サブカル

2014年02月02日

支配者は風水を葬った

風水ネタが続きますが、お許しを。
いま僕は、台湾系の師から風水を学んでいます。
それは何故かというと、風水が中国本土では
葬られてしまったからです。

中国共産党は、その指導方針において
宗教を認めていないため、風水も公安の
取り締まり対象となっていました。
その結果、多くの風水の徒は香港や
台湾に逃れざるを得なかったのです。

真偽は明らかではありませんが、
一説では、絶大な権力を握った毛沢東が、
自分以外に風水の術を行使させないため、
意図的に弾圧を行ったとの見解もあります。

実は僕は、これをワリと信憑性のある話だと
捉えています。というのも、そういう事例が
とても身近に存在しているからです。
…平安京や江戸が風水都市だったと
聞いたことがある人は多いと思いますが、
その術法は何処に行ったのでしょう?
徳川家康が葬ったというのが答えです。

家康は風水に精通していたと考えると、
非常に説明がし易いことが多いのです。
ちょっとQ&A形式で列挙してみましょう。

@家康は何故わざわざ太田道灌の城を壊して
 同じ場所に江戸城を建てたのか?
 (→そこが風水的に得難い土地だったから)

A家康は何故わざわざ日光に東照宮を作り、
 そこに埋葬されることを望んだのか?
 (→墓の風水が最も効果が絶大だから)

B江幕府は何故わざわざ高野山の奥の院に
 戦国諸将の墓を作るよう圧力をかけたのか?
 (→墓の風水を敵に悪用されるのを恐れたから)

C江戸幕府は何故わざわざ暦を何度も変えたのか?
 (→風水の要である暦を朝廷から奪いたかったから)

なお、家康ではなく天台宗の南光坊天海が
風水のスペシャリストであったという向きも
ありますが、彼の墓は風水的には凡庸なのです。
おそらく天海は、家康に天台宗の風水を
伝えることをしていたとは思いますが、
主導権を握っていたのは家康だったのでしょう。
戦国武将である家康は、古今の軍略書兵法書を
読んでいたはずで、そこには風水のエッセンスが
濃厚に組み込まれていたに違いないので。

ゆくゆくは、失われた日本風水の体系を、
この手で書にまとめてみたいものです。
あ、古文の勉強し直さないといけないな。
ありをりはべりいまそがり…。
posted by ビズアイユ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 趣味@サブカル

Puppiest.png

×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。